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おいたちЭ景江学生
 早朝は信貴山下駅にてごあいさつ。斑鳩町は法隆寺のご周辺、目安団地へごあいさつをしてまわりました。
 夜は会議でした。

雨の日も雪の日も 〜受験浪人〜

 1993年4月、大学合格をめざして受験浪人することに。経済的に自立したい思いが強く、友だちと「一緒にやろう」と新聞奨学生に申し込みました。友だちは1週間でリタイア。自分は意地でも続けようと頑張りました。
 夏の日の朝、6時前に配達をおえたときのすがすがしい気分。台風がくる直前の朝は夕焼けのような不気味な雲行きです。雨の日や雪の日は、いつまで配り続けても配達が終わらないような気がします。冬の試験前などは睡眠不足でとても眠く、バイクで配達中に居眠りをし転倒、冷たいアスファルトにたたきつけられるのです。ダンプに轢かれそうになったこともありました。
 ちょうど関西大学の受験の日、記録的な大雪にみまわれ、配達が終わったのは朝の8時半。やむなく受験を断念するということもありました。


 ↑配達用のバイク。テレビコマーシャルでは好天のすがすがしい朝に自転車で配達する好青年の映像ですが、たいてい朝刊は暗いうちの配達。2時半頃から配達するので夏もバイクでは寒い。冬は目出し帽で配達する人もおり、缶コーヒーを買おうとうっかりそのままコンビニに入ろうものなら...。ということもありました。


 ↑自販機あらしのドロボーを捕まえて堺北署から表彰されたこともありました。


新聞奨学生を5年間貫徹 浪人時代〜大学入学

 受験浪人のときから始めた新聞奨学生、大学入学後も続けることになりました。家族や友人、専売所の所長さんなど、様々な人々の支えもあり、大学卒業までの5年間を貫徹することができました。本当に感謝しています。

 大学卒業のときに、「貫徹式」というパーティーに呼ばれました。入学当初200人ほどいた関西地域の新聞奨学生でしたが、4年間貫徹できたのは26名だったそうです。私が経験した堺と奈良の専売所でも、たくさんの仲間たちが体をこわすなどして夢を断念していきました。
 いま、育英会の奨学金が改悪され続けるなか、学びたくても学べない学生が多くなっていることに胸がいたみます。奨学金は貸与ではなく給付すべきですが、当面は、誰もが借りられる奨学金制度の充実が求められます。奈良県でも未来を担う学生の学ぶ権利を保障するべきです。

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