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中世から近世の城郭保存整備に光を

 ↑切り出した木材を運び出す作業に参加(6月13日)


 ↑平群町の左近くん、信貴山のしぎとらくん、王寺町の雪丸も参加


 いま、中世・近世の城郭跡を保全する活動が注目を集めています。日本3大山城の1つで標高(比高)は日本一、「天空の城」とよばれる高取城(2010年度までに県が応急整備を実施)や、南北朝時代に構えられ、加藤家や福島家が大和支配の足場とした宇陀松山城(文化庁国庫補助事業として整備事業実施中)などは国指定文化財であり、観光地としての整備も進んでいます。
 最近では、大和郡山城の天守台復旧事業が注目されています。

 わがまち平群町にも信貴山城、椿井城と2つの大きな城跡があります。



中世末期から近世の城郭技術の基礎―信貴山城

 信貴山城は、名器平蜘蛛とともに爆死したという逸話が残る戦国武将・松永久秀の居城として知られ、織田軍侵攻後焼失したままという「幻の城」です。現在、NPO法人信貴山観光協会が中心となり信貴山城保全研究会が結成され、信貴山をめぐる講演会や、ボランティアによる倒木・伐採・整地など保全活動が始まっており、私も先日、これに参加致しました。
 現在空鉢護法堂が建てられている箇所が天守だったと見られ、信貴山尾根上に110以上もの曲輪を配し、東西550叩南北700叩標高430辰如県内最大級規模の城跡です。信長はこの城郭技術を学び安土城を築城したとも言われ、中世末期から近世の城郭技術の基礎ともいえます。


住民の力で遺構がよく残る貴重な文化財―椿井城

 椿井城は、築城時期、城主に関する確実な史料が残っていないものの、戦国末期の武将・島左近が活動の拠点にしたとされています。平群谷の東を画する矢田丘陵にあり、東西110叩南北310叩標高240辰如△竜模を有します。古くから地元住民が共同で土地を守ってきたことから、土塁や堀切などの当時の遺構が非常によく残る貴重な埋蔵文化財です。2010年に地元住民の整備活動が本格化したことをうけ、私も2012年に県議会で取り上げ、県の支援を求めているところです。

 なお、平群町にはこの他に、上庄北城、三里城、西宮城、下垣内城、高安山城、平等寺館等があり、今後の保存・整備が求められています。

 奈良県の文化財保存行政はどうしても古代が中心になりがちですが、中世から近世に光を当てた地元住民の保存運動が広がっています。引き続き、県の支援を求めていきたいと思います。
カテゴリ:平群町 | 23:15 | comments(0) | - | - | - |
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